chainsawmanfanのブログ

チェンソーマンファン

2023/12/30のストーブ

刺激を少なくすると、精神が安定する気がする。自律の作用をうまく行使できている感覚がある。
孔丘の下巻を読みました。面白かった。僕は上巻のほうが小説の視点と孔子との距離が近くて面白かったと感じた。下巻になるとだんだん孔子の周りの人間の視点から描かれることとか地の文が多くなったので孔子の抽象性が増したなという印象だった。
長期的な勉強計画を立てることにする。
二次試験までの勉強の仕方をかんがえる。

孔丘仲尼(孔子)という星

今日は宮城谷昌光の「孔丘」の上巻を読んだ。歴史小説というのは面白い。ではなぜ面白いか。歴史という教科は膨大な人物、事件を淡々と覚えていく作業が主体でしばしば無味乾燥とした印象を与える。しかし、小説という媒体はただ知識としてしか記憶されていなかった歴史に命を吹込み、その時代の思想や人物の空気感を、時代を超えて易々と伝えることができる。その感じとしては、普段何も感じていなかった風景が、突如として意味をもって語りかけてくるような、友達とは言えないクラスメイトが自分と同じ趣味だった時、そしてその趣味を共有出来た時の感動に似ている。
「孔丘」とは、もちろん孔子の伝記小説であるが、これもまた歴史上の一人物でしかなかった孔子に輪郭と彩りを与えることにかけては一級品だと思う。中華を席巻し、海を超えて列島にまで伝わった儒教という思想のオリジンである孔子が、人として生きているという感動が、この本にはある。
文庫の裏のあらすじが簡明ながら美しい。
引用する。
「春秋時代、魯に生を享けた孔丘は、家族の情愛に恵まれずに育つが、詩と礼を愛する青年となる。三十で官途を辞し、首都曲阜に建てた教場には次々と若者たちが入門してきた。有力貴族が主君を脅かす魯にあって古の学問への探究心やみがたく、四十を迎えんとする孔丘は、先進国・周に留学する。稀代の教育者の生涯を描く大河小説。」
この小説で描かれている孔子の姿は、尋常ではなく強い。庶民であるのに貴族式の葬礼を採用し、家の外に作った小屋で三年ひたすらに喪に服したり、知る者は知らぬものに教えるべきだという信念の下に自分の知らないことは徹底的に質問するし、自分の下で学ぶ人間には貴賎の分け隔てなく熱心に教える。また、向上心の塊といった性格で、学ぶと決めたことは、葬礼から家畜飼育、詩や音楽までなんでもとことんやる。その痛快無比ともいえる強さは、僕のような学ぶ者に勇気を与えてくれる。
「強く生きよ。くよくよ悩むな。」この言葉を、もし僕が憔悴しているときに言われると、弱く生きる事にも義がある事を知らないのだと、突っぱねようという気になっていただろう。しかし、こうして小説において、強く生きる人間を観察することは、思想だけが存在していることとは違う、ある人間がその思想に与える輝きがある。平面の紙の上の印字でしかなかった思想が、生きた人に乗り移り生かされているのだという実感こそが、その思想の意味を感得させる。

なんかすたぷら使えるのでそっちで記録する!