chainsawmanfanのブログ

チェンソーマンファン

最近は本を読んでいます

僕は受験生なのですが、勉強は控えて、本を読んでいます
勉強をしないでいるのがとても楽しいのです
束の間の幸せであることは重々わかっているのですが、だからこそ楽しいです
今日読んだ本は、スタニスワフレムのソラリスっていうSFと、知の技法入門という大学の先生が書いた高校生向けの人文科学への導入的な位置付けの本です
どっちもよく分からないな、というのが第一印象で、よく分からないのに一日中読んでました
今ふと思ったのですが、やはり言葉を紡ぐのは難しい!
僕の文章がまとまりをもった意味のカタチになるのにはまだまだ時間がかかりそうです


最初に述べたように、僕には大学受験が差し迫っています
しかし、八月頃に浪人を見据えてしまったせいで全く勉強出来なくなってしまいました
受験生にとっての八月は受験の天王山、僕はそこで勉強できなかったらやばいなとはおもってました
やばいとは思いつつもなんとなく頑張れるような気もしていたんですが、あえなく撃沈、
何もせず、スマートフォンとにらめっこして一か月が過ぎ、二ヶ月、三ヶ月と過ぎて今に至ります
挫折と言ってもいいと思います。三ヶ月かん挫折を引きずってぼーっとしてたとも言えます。その間は、ずっと社会への恨みつらみや自分への怒りなどをTwitterに吐き出していたのかな、あまり覚えていません
今勉強していないのはなぜなんだろう
よく分からないのですが、勉強している周りの受験生への優越感なのか、勉強に手を付けて自分が勉強しなかったという事実に直面するのが怖いのか、今の楽しい生活から抜け出したくないのか、またはその全てなのか、僕は一番最後が妥当かなとおもいます、
しかし、とにかくよくわからないです、何をしているのか、
「いったい自分は何をしているんだろう」と自問自答することで希薄になっている社会との繋がりを保とうとしているのかもしれません。
そうやって問わないことにはまともな社会性、周りから求められている普通の人間としてのあり方が示せないから。
こんな風に勉強をせずにまともなあり方からはずれていようとも、ふとした瞬間に「自分は何をしているのだ」という言葉が心に浮かんで僕にまとわりつくのは、僕がそうした社会との繋がりを無意識的に求めているからなのでしょうか
こうやって自分を客観視できたと満足感に浸ってもあまり意味がないような気はしますね
暴れたいです
今の自分を社会的に、ひょっとすると実存的にも、ほとんど決定的に支配しているのは受験勉強であることは恐らく間違いありません。そこに難しい顔をして哲学者みたいに、「本当にそうなのだろうか」、と問うのは幼稚なのでしょうか、幼稚ですか、。僕も薄々気付いているのですが、、