chainsawmanfanのブログ

チェンソーマンファン

つれづれなるままに。。。

受験勉強ってメンドクサイ。志望校合格を目指すために世の中の受験生は勉強をする。僕はそれがあまりにも当たり前で、あまりにも曖昧だとおもうから嫌いだ。その当たり前は世間で共有されているというだけで当たり前なのであって、受験勉強をする人人の個性が脱落しているように感じる。しかしそれだからといって僕は、受験勉強ををまるきり馬鹿にすることもできていない。受験勉強を頑張って、周りの人間に褒められるような大学に行きたい。しかしそれは、自分本位なのでなく他人の評価だよりのかるくて脆い信念なのではないか。。。。こういった宙吊りの状態を、人間は嫌うと思う。僕だって嫌いなのだ。
受験勉強をすると、他人の存在している空間に取り込まれる。自分の脳みその一部分が、他人のことで占められる。それだけなら良い。だけど、その他人が、途方もないほど連続的で、巨大な何かに変貌することがあるのだ。他者の視線が内面化されるとでも言おうか、その内面化が見知らぬだれかにまで及ぶのも恐ろしい。
最近の僕の性向なのだが、心に浮かんだ多くのことを否定することが出来ない。例えば、受験勉強をしない方が人生にいい影響を与えるかもしれないだとか、自分の今やっていること(読書と睡眠)だけではよくないのではないかとか、、、しかし、こうして文字に起こしてみると、抽象的で、根拠の薄いことばかりだ。こういうことを少しでも信用してしまうというのは、何か疲れているのか。
受験勉強について冷笑的な態度をとってしまうと先ほど話したが、受験勉強をすることにもそれなりの理由、それどころかほとんど確固たる理由があるのは勿論わかっている。だから、現実的にはもうちょっとリスクヘッジというか、中立的に向き合うのがいいと思う。それはわかっている。しかしなぜか受験勉強をしない。なにがわからないのだろう。受験勉強に向き合え!と自分に命令しようという意識が強いせいで、どこかに論理の飛躍があるのではないか。
受験勉強をしろと自分に言い聞かせるばかりで、受験勉強を毛嫌いしている自分にそっけなく接しているのではないか。
眠くなってきたので明日考察してみる。